震災から10年

2005年1月17日 日常
今日で10年。
あっという間だったように思います。

震災の時、私は大学の1回生でした。

私は、あの時大阪で祖母と一緒に暮らしていました。地震の時は、何がなんだかわかなくて、すごく怖い思いをしたけれど、でも、大阪の街はすぐに日常に戻りました。

震災から2日目くらいに、梅田の阪急百貨店の前を通って、普通に営業していたからびっくりました。

神戸の人は、食べ物も服もなく、もちろん電車も通ってなく、歩いて大阪までやって来て、こちらが普通どおりなのを見てなんて思ったのだろう?神戸でたくさんの命がなくなっているときも、大阪では普通に買い物ができました。

神戸や大学のある街はいつまでも戦争中みたいでした。
テレビで火事で焼けている神戸の街を見ながら、祖母が「大阪大空襲を思い出す」って言っていました。
私は、空襲ってこんなかんじだったんだなと思いました。

私はあのころ何をしていたのだろう?

大学も電車が不通でずっとお休みでした。
何かをしていたか、あまり記憶がありません。
ただ、怖くて、あまり家から出たくありませんでした。
震災の様子をよくテレビで見ていたように思います。
あと、あの時いいかんじだったボーイフレンドと、たまに会っていたくらいでした。
でも、本当によく覚えていません。
テレビを見たり、勉強をしたり、本を読んだりしていたのかな。。。

私の実家は、震災地に近いので、家は無事だったけど、長い間ガスが復旧しませんでした。なので、妹たちがしばらく泊まったりしていました。あと、家が全壊した神戸の友だちも泊まりに来ました。

震災があった日は、大学の飲み会の予定だったので、先輩に電話をして、「今日の飲み会どうなりますか?」って聞きました。
あの時は、死者があんなに出るなんて、火事があんなになるなんて、まだ思っていませんでした。当日は、電話もかなり通じました。

当時、東京にいた従兄弟は、わざわざ大阪の私の家に泊まって、神戸でボランティアをしていました。

でも、私はボランティアもしませんでした。

今でもずっと、10年前の自分をすごく後悔しています。

もっと私にできること、すべきことがあったのでは?と思います。

10年たって、やっと震災のことをもう一度考えることができました。

同じ大学だったダーリンは、あの時ボランティアをしていたそうです。同じ部活だったのですが、うちの部員は誰もダーリンと連絡がつかず、ダーリンは死んだのではないかと思われていたようです。

ダーリンがボランティアをしていたことだけは、少しだけ私の救いです。私がすべきことだったことを、ダーリンがしてくれていたように思います。たぶん、あの時、私には少し勇気が足りなかった。自分だけがかわいくて、自分だけを守りたくて、人の痛みを知る勇気がなかった。被災地にも近づけなかった。私が神戸の街に行ったのは、地震からずいぶん後でした。怖くて近づけなかった。でも、次はきっとダーリンが勇気をくれるはずです。

震災から数ヵ月後、大学が再開し、私とダーリンは仲良くなりました。私たちの付き合いに震災はあまり関係ないけど、よく考えれば震災と同じだけの年数を私とダーリンは過ごしているのです。

亡くなられた6400人の方のためにも、母校の犠牲者のためにも、自分のためにも、1月17日を忘れることはできません。

自分の弱さを認め、もっと強い人間になりたい。強い人間になれなくても、今度は、後悔しないように行動したい。それが、10年目の私の思いです。私は、この日を忘れません。これからもずっと。。。

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mm

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